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なぜ,IT企業ではマインドフルネスを取り入れるのか? 〜コンピューターと「今,ここ」との関係〜

この記事に非常に共感しつつ読んだのだが、読んでいるうちに今まで何となくモヤモヤしていたことがはっきりしてきたようなので書いておく。

megamouth.hateblo.jp

 

マインドフルネス? ネット?

Google, Appleインテルなど有名企業を中心に、シリコンバレーでは、仏教の座禅や瞑想から宗教性を取り除く形で、マインドフルネス瞑想が流行している。ヨガもここ10年ほどずっとブームだ。発生した地域や辿ってきた歴史は違えど、人類が脈々と受け継いで来たこれらの活動が、なぜ今、またブームなのか?

これは、コンピューター・インターネットが急速に普及したことと、密接な関係があるんじゃないかと思った。

マインドフルネス、ヨガ、瞑想、座禅、これらに共通するのは、「今、ここ、自分」に焦点を当てることだ。

ネットのおかげで、我々はいくらでも「今、ここ」にない情報を得ることができる。「自分ではない誰か」の意見や活動について知ることができる。過去の知識も参照できる。

SNSのおかげで(SNSのせいで)次から次へと新しい情報が飛び込んできて、「いいね!」したり、リツイートしたり、それらに対応しなければならない。その度に、意識は「今、ここ、自分」からは引き離され、戻ってくるためには意志の力を必要とする。

プログラマと「今、ここ」

自分でプログラミングする時はどうだろう?
私はプログラマではないが、必要に応じてプログラムを書くことがある。


インターネットがなかった時代、誰もが「自分が動かすプログラムを、自分だけで、フルスクラッチで」書いていた頃はまだ良かった。
だが、今はずいぶん様子が違う。
コードを書く前に、過去や未来や他人を参照しなければならないのだ。

例えば、今からコードを書こうとするとしよう。それだけでも以下のようなことに気を使わなければならない。

(過去に対して)

自分がこれから書くコードは、既に誰かが書いているのではないか? DRYではないか? 車輪の再発明ではないか?

既存のライブラリや関数をパーツとして使えるのではないか? それを使ったときに何らかのコンフリクトが起きるのではないか?

(未来に対して)

どうせ書くなら、誰もが使い回しできるように、汎用性の高い書き方にしよう。コメントもしっかり書こう。

新しいOSやアプリケーションにも対応できるようにしよう

など、過去、未来、ここではないどこか、自分ではない誰か、に思いを馳せなければならない。

アジャイルな開発だと、短期間に過去、現在、未来を行ったり来たり。


もちろん、既存のアルゴリズム、コード、関数、ライブラリなどを使うことで、多大な恩恵を受けられるのは確かなことだけれど、あまりそれらに気を取られると、「手が止まる」のだ。

やる前に「知らないといけないこと」があまりに膨大だと、圧倒されて動けなくなるのだ。

やっている最中も「こんなこと、やってて意味があるのか?」という疑問がよぎるのだ。

やった後も、「本当にこれで良かったのか? もっと良い方法があったのでは? すぐ陳腐化するのでは?」という不安が収まらないのだ。

こんな感じで、プログラムを書くときには、普通にネットするのとはまた違った意味で、「今、ここ、自分」から離れて物事を考えなければならない。

しかし、現実に生きる一人の人間としては、「今、ここにいる自分の能力で、限られた時間の中で、やれることを」やるしかない。ここに留まる以外に方法はないのだ。
これが、多くのIT企業がマインドフルネス瞑想を導入し、「今、ここに生きる、個人としての肉体」に焦点を当てるようになった背景ではないだろうか?

最近はGitやGitHubなんかで、だいぶ過去、未来への見通しができる技術もあるが、それでもこの問題をすっきりと解決するようなものではない。

冒頭で掲げた記事の中にもこんな場面が。

 

最初からこれに対応できるように指示を解釈する必要があったのだ、と言われているようなものだからだ。 そのような急なリクエストでも上手くこなす予知能力じみた能力を持ったプログラマもいることはいる(特に熟練のプログラマはそういう術に長けている)、だが彼らとて全てのケースに対応できるほど全能ではない。しかし、あなたの言い草は、まるでそれができないプログラマは未熟だ、と言っているのに等しいのである。

なぜプログラマはあなたの事が嫌いなのか - megamouthの葬列

 

ある意味、予知能力を要求されるプログラマ。(この場合,営業によってもたらされる未来なので、ほぼ予測は不可能だと思うのだが。

 

以前によく読み返していた結城浩さんのサイトに

プログラマの心の健康

というのがあり、その中にこんな一節がある。

「まるで、世界に、今しか存在しないように、ゆっくりと。」

結城浩さんはプログラミング関連の書籍だけでなく、「数学ガール」などの本でそこそこ有名な人だと思うのだけれど、1996年にして、すでにマインドフルネスの隆盛を予見していたかのような記事だ。

 

一見、何の関係もないような、マインドフルネスとコンピューター。ヨガや瞑想も単なる健康ブームやストレス対策と思われがちだが、こういうところでつながっているのだと思う。